Ngài Shigemi Koga, Giám đốc thị trường,
Tập đoàn Thương mại CHIYODA BUSSAN Japan
私がタンさんと初めて会ったのは2001年の3月だった。当時私は大型靴小売店で仕入れ担当者として勤務していた。ある日、Y氏と言う人物が我が会社を訪ねてきた。彼はベトナムにあるサンダルメーカーの共同経営者で自社商品の紹介に来たとのことだった。私は興味を覚えたのでY氏と共にベトナムの工場を視察することになった。ハノイの空港からハイフォンまで約5時間の旅だった。 車中で
Y氏は私に尋ねた。古賀さんは趣味は何ですか?「私は骨董品に興味があるんですよ」私が答えるとY氏は言った。「それは良かった。実はこれから行く工場の社長は現在ベトナム・中国の骨董の収集に夢中なんですよ。」私は心が弾んだ。 やがて車はハイフォンの街に入りサンダル工場に到着した。 社長のタン氏と型通りの挨拶を済ませ、ひと通り工場を視察し日本市場の説明を済ませた。オフィスに戻るとY氏がタン氏に耳うちした。「古賀さんも骨董品の愛好家だよ」それを聞いたタン氏はにっこり笑って私の手を握ると力強く言った。夜はぜひ私の集めた骨董品を見てくれ!
夕食を済ませるとミスタータンの収集品を見せてもらう時間だ。別棟の二部屋をその展示の部屋にしていた。扉を開けると私は叫んだ。 ”これは博物館だ” ミスターたんは非常に好学心が強く中国、日本の骨董の専門書を数多く所有し知識が豊富で一つと言えば三つ答えが入ってくるほどである。4面の壁側に置いてある店にはアールヌーヴォーを代表とするフランスのガラス工芸家エミールガレ、ルネラリック、ドーム兄弟のガラス器が並び、また一方の棚には中国清朝の乾隆ガラスの大小の鼻煙壺が置いてある。
部屋中央のガラスケースの中には紀元前の古代中国の生活を表す土器で作られていた井戸や豚、アヒルなどの動物が置かれていた。圧巻なのが中国唐代宋代の白磁と青磁の収集である。東京でもこれほどまとまって収集されている美術館は少ないだろう。 どれほどの骨董品愛好家でも本物の唐時代の白磁, 宋時代の青磁を実際に取って見る機会は滅多にないだろう。私は幸せだった。
中国陶磁器にコバルトの絵が書かれるようになったのは1279年に中国を統一した元朝になってからである。 この頃の元朝の陶磁器はベトナム沿岸での沈没船から引き上げられた回収品が見られるが地上で伝世されたものはベトナムには少ないようだ。 一方ベトナム古陶磁器は小動物や皿、壺、碗が展示されていた。 ベトナム陶器は1600年前後、交易により日本の堺(大阪)の港にもたらされた。 特に茶碗は日本の豪商や各地の大名たちに珍重され茶道に用いられた。超有力大名が所持したお椀 ( 写真)は紅安南と称され現在東京の徳川家の美術館に保管され重要美術品として認定されている。このように従来からベトナムと日本は戦争することもなく仲良く交易してきました。今後とも両国は末永く友好を続けていきましょう
日本人骨董愛好家 古河